阪神・淡路大震災

今日で阪神・淡路大震災から20年。

当時、東京に住んでいた私は義母からの電話で地震のことを知った。
テレビをつけたら阪神高速が横倒しになっている映像が映っていた。

宝塚の実家に何度電話をしても全くつながらず
昼過ぎになって母から電話(公衆電話)があり無事なのがわかった。

一刻も早く実家に帰りたかったのだけれど
水道が復旧するまでは迷惑だから帰って来るなと言われ
帰郷したのは1月28日だった。

この時のネガフィルムをスキャニングしてみた。
撮影日は1995年1月28日〜30日。


宝塚市・花のみち


宝塚市・花のみち

花のみち(宝塚駅から宝塚大劇場へ行く道)は震度7だった。
瓦屋根の木造の家は壊滅状態だった。
この場所はその後“花のみちセルカ”になった。


同じく花のみち。既に解体作業が始まっていた。


宝塚ファミリーランド(阪急系列の遊園地・動物園)の温室。こちらも解体作業が始まっていた。


宝塚ファミリーランド。ガスも水道も止まり飼育員の方々は苦労したと思う。

宝塚ファミリーランドは1995年3月1日に再開したが、少子化等の影響で2003年4月7日に閉園、
跡地は関西学院初等部、マンション、住宅展示場、レストランなどになった。


サンビオラ3番館(1974年竣工の住宅・商業ビル)。


柱に×印の亀裂が入っていた。

サンビオラ3番館の商店は補修工事後に営業を再開したが、
2012年7月、23階建ての高層マンション“ザ・宝塚タワー”に建て替えられた。


宝塚ホテル映画『阪急電車』のロケに使われたホテル)。ブルーシートと崩れた瓦が見える。

宝塚市の1995年の人口は71,363世帯202,544人(こちら)。
全壊3,559棟、5,541世帯、半壊9,313棟、14,819世帯。118人が犠牲になった(こちら)。

また水道が全市仮復旧は2月24日、ガスの完全復旧は3月26日だった

<余談>
今回ブログにまとめるために読んでいた資料(こちら)の中に以下のような記述があった。

1月31日
国際姉妹都市ウィーン市第9区より励ましのチョコレート730キロが届く(西宮市と折半)

この差し入れはインパクトがあったのではないかと思う。